教えのやさしい解説

大白法 665号
 
獅子奮迅之力(ししふんじんしりき)
「師子奮迅之力」とは、「師子奮迅の力」と読み、仏が衆生を救っていく偉大な力、仏力、法力をいいます。
 法華経の『従地涌出品(じゅうちゆじゅっぽん)第十五』には、三十二相という仏の相好(そうこう)を具(そな)えた地涌の菩薩が大地より涌出したことで、弥勤(みろく)菩薩を代表とする菩薩衆が、そのようないまだ見たことも聞いたこともない立派な相を具えた地涌の菩薩に疑い驚き、地涌の菩薩は一体どこから来たのか、いかなる因縁によって出現し、誰人によって教化(きょうけ)された等を釈尊に問い奉ることが説かれています。
 そしてこの質問に対して釈尊は、
 「爾(そ)の時に釈迦牟尼仏、弥勒菩薩に告(つ)げたまわく、善哉(よいかな)善哉、阿逸多(あいった)、乃(いま)し能(よ)く仏に、是の如き大事を問えり。汝等当(まさ)に共に一心に、精進の鎧(よろい)を被(き)、堅固の意を発(おこ)すべし。如来今、 諸仏の智慧、諸仏の自在神通の力、諸仏の師子奮迅の力、諸仏の威猛(いみょう)大勢の力を顕発(けんぽつ)し、宣示(せんじ)せんと欲す」(法華経 四一八n)
と説かれました。
 この中の「師子」とは百獣(ひゃくじゅう)の王である獅子のことで、ここでは人の中の王である仏を指します。「奮迅之力」とは、獅子が奮い立つ時に出す力をいい、仏の力用(りきゆう)を表します。
 天台大師は、この「師子奮迅之力」について、『法華玄義』第七の三世料簡段に、
 「第六に三世に約して料簡(りょうけん)せば、文に云く、如来の自在神通の力、如来の大勢威猛(いみょう)の力、如来の師子奮迅の力、即ち是れ三世益物の文なり」(法華玄義釈籖会本 下 二五四n)
と釈しています。
 これは『寿量品』に説かれる、
 「如来秘密。神通之力」(法華経 四二九n)
の文を、仏が過去・現在・未来の三世にわたって衆生を利益すること(益物)を示して、「如来の自在神通の力」を過去、「如来の大勢威猛の力」を現在、「如来の師子奮迅の力」を未来に配当したものです。
 すなわち、三世にわたる仏の永遠の寿命と、常住不変の衆生教化を示したもので、未来の益物(やくもつ)はひとえに「如来の師子奮迅の力」によってなされるのです。
 しかし、この三身常住三世益物の教相は、一往、釈尊の在世中心の化導(けどう)の上から拝したものであり、再往は末法の化導の意義、すなわち「内証の寿量品」の上から拝すべきです。
 『寿量品』の仏の真の寿命は、末法においては天台・妙楽等の釈より一重立ち入ったところにあり、それは宗祖日蓮大聖人の末法万年の下種の化導によって明らかとなります。つまり、御本仏日蓮大聖人が末法の一切衆生成仏のために三大秘法を弘通あそばされたことがそれです。
 さて、大聖人は「師子奮迅之力」について『経王殿(きょうおうどの)御返事』に、
 「師子王は前三後一と申して、ありの子を取らんとするにも、又たけきものを取らんとする時も、いきをひを出だす事はたゞをなじき事なり。日蓮守護たる処の御本尊をしたゝめ参らせ候事も師子王にをとるべからず。経に云はく『師子奮迅之力』とは是なり」(御書 六八五n)
と御教示です。
 この御文の中に「師子王は前三後一」とありますが、これは師子(獅子)が敵に向かう時、前足二本と後ろ足一本を前に出し、残りの一本を後ろに残して、この上なく慎重な身構えで、蟻のように小さくて弱いものから、猛獣のように大きくて強いものに至るまで、その区別なく全力を込めて戦うという、師子の攻撃態勢を述べられたものです。
 大聖人は、師子王が全力でことに当たるように、御本尊を認められるに当たっては、御自らも全力で臨(のぞ)まれていることを仰せであり、それは『涌出品』の文に説かれる「諸仏の師子奮迅の力」であると御教示であります。
 また、この『経王殿御返事』には、
 「此の曼荼羅能く能く信じさせ給ふべし。南無妙法蓮華経は師子吼(ししく)の如し。いかなる病さはりをなすべきや。鬼子母神・十羅刹女、法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり。さいはいは愛染(あいぜん)の如く、福は毘沙門(びしゃもん)の如くなるべし。いかなる処にて遊びたはぶるともつゝがあるべからず。遊行して畏(おそ)れ無きこと師子王の如くなるべし。十羅刹女(じゅうらせつにょ)の中にも皐諦女(こうだいにょ)の守護ふかゝるべきなり。但し御信心によるべし。つるぎなんども、すゝまざる人のためには用ふる事なし。法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用ふる事なれ。鬼にかなぼうたるべし」(同)
と仰せです。
 大聖人は、ここに「師子奮迅之力」をもって御図顕あそばされた漫荼羅本尊を堅く信ずべきことを御教示の上、南無妙法蓮華経は師子吼であり、鬼子母神・十羅刹女は法華経の題目を持つ者を必ず守護されると示されています。そして、それはあくまでも私たちの信心によると誡められているのです。
 さらに同抄の次下の文には、
 「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意(みこころ)は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」(同)
とあります。
 私たちは、種々の法難や迫害に遭いながらも「師子奮迅之力」を出して三大秘法の御本尊を顕され、それを身命を賭(と)して弘通せられた御本仏日蓮大聖人に徹報恩申し上げるためにも、また自らの成仏のためにも、「日蓮がたましひ」である御本尊を信じ奉り、死身弘法の精神で折伏弘教に邁進していくことが肝要です。
 本宗僧俗は、四年後に迫った「平成二十一年・『立正安国論』正義顕揚七百五十年」に向かい、この「師子奮迅之力」をもって、
 「地涌の友の倍増乃至、それ以上の輩出と大結集」(大白法 六〇八号)
を必ず成し遂げることを御本尊にお誓い申し上げ、「僧俗前進の年」をますます精進してまいりましょう。